ガッツだけの商社マン から 男の高みへ

ガッツだけの商社マンからの成り上がりの日々を毎日発信します。

288日目 カッコよさ

2019年9月26日

20:18

 

ハロー!

私はラッキー!

 

今日は男らしさについて話そうと思う。

 

私は男らしさを、カッコいいという意味で使います。

カッコよさとは、なんなのか。

 

まず2つに分けられると思う。

それは自分からのカッコよさ。

他人からのカッコよさ。

 

 

自分からのカッコよさとは、何かといえば理想的な人間像に近づく行為だと思う。

マズローの五段階欲求に自己実現欲求というのがある。それは自分の理想に辿り着きたいという欲求であり、それに近づく行為がカッコいい行為である。

マズローを調べればわかるが、その欲求にたどり着くには生理的欲求から安全、社会、承認と段階を踏まねばならない。

命の危険にさらされている人たちにはカッコよさなんてくだらねえと一蹴されることだろう。

 

しかし、この自己実現欲求が強ければ、そこに重きを置ければ他のものなんざ二の次に捉える事もできると私は思う。

なりたい自分になる為にダイエットをするのはそういう事の1つである。

 

そして、そのように手にしたカッコよさは、自分への自信という防具に変わる。

自信は胸に秘めることで防具に変わるのだ。

ちなみにその防具が凄ければ相手を言い方が悪いが威圧し戦わずして勝つことすらできる。

 

上辺の自信ではない。

自分が自分をカッコいいと思えるのは過去の自分の行いのみである。

過去の自分の行いで獲得したカッコよさは、他人から褒められてついた上辺の自信とは比べものにならないほど頑丈である。

 

時折その自信を胸に秘めず、振りかざすことで他人を傷つける武器に変えてしまう者がいるが、それはいずれその武器によって身を滅ぼす。

人を傷つける者に未来はない。

(傷つける事のできるという力は必要である。)

 

 

つまるところ、

自分へのカッコよさは身を守るのである。

 

 

一方で他人からのカッコよさははっきり言って無用である。

 

他人からカッコいいと思われるのは気分がいいがそれは一時である。

それを欲する為に己を見失うと、そもそもカッコよくない。

 

他人からを求めるとなくなるが、

自分でそれを追い求め続ければ、他人からも集まる。

なんというか、株の配当金のようなもので、それ目当てにしてはいけないが、あると正直嬉しい。そんな感じである。

 

 

男らしさはカッコよさ。

自分へのカッコよさは自信。

自信は過去の自分の行いでのみ得られる。

自信を胸に秘めれば立派な鎧になる。

自分を振りかざせば人を傷つける武器に成り下がる。

他人からのカッコよさを求めてはいけない。求めれば、それはなくなる。求めないからやってくる。

だから他人からのカッコよさなんて求めなくていい。

自分がカッコいいと思ってることを追い求めればいい。

 

また明日!

グッドバイ!