366日目 送りバントの魅力
2020年8月17日20:01
ハロー!
わたしはラッキー!
久しぶりだが、そして突然だが、
わたしは"送りバント"が好きである。
野球の中で、人生の教訓になる偉大なる作戦である。
私は野球をしていたことがあるが、どちらかと言えば、グリーナップを打つパワー系の打撃をしていた。
送りバントのサインは殆どなかった。
しかし、送りバントには自信があった。
なにより、送りバントがカッコいいと思う節があったから、練習も比較的真面目にしっかりとやっていたのだ。
話がそれたが、送りバントは一言でいえば、
肉を斬らせて骨を断つ作戦だ。
ランナーを進塁させるが為に、打者は己をアウトになる前提で構えるのだ。
まさに死の構えである。
(犠打と書くが犠牲という言葉はあまり好きではない。
犠牲という言葉には、なにか進塁できなくてもよいというようなニュアンスを感じるからだ。)
この死の構えからなる送りバントには、非常に強い目的意識を感じる。
そう。得点だ。
目的が明確であり、多くの場合、1点が欲しいときに、送りバントをする。(2点の場合もあるが、3点はない)
そう。野球とは1点を争うゲームであり、その目的の為に肉を斬らせるのである。
もちろん理想はヒットで大量得点をあげることだが、 そんな理想は現実的に可能性が低い場合もある。
送りバントは、まずマイナスを生む。
選手だって心では打ちたいはずだ。
また、送りバントをするという事で采配にケチをつけられる可能性も生む。
また、またその構えからはアウトを生む可能性が非常に高い。
いわゆる投資である。
満身創痍でも、1人が相手より多くホームベースにたどり着いたチームの勝ちなのだ。
人生において、様々な選択を余儀なくされる場面がある。
そんな時、送りバントをキメれる者は強い。
目的はなにか。
どこで自ら肉を斬らせることで、目指すべき骨を断つことができるのか。
そういった判断や考えをもち行える者はつよい。
appendix
高校野球の皆勝ち残りたい一心でプレーし、プロ野球は勝ちより成績だからである。
それはプロは生活がかかるので仕方がないことである。
以上送りバントの魅力でした。
ではまた!
グッドバイ!