ガッツだけの商社マン から 男の高みへ

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55日目 年賀状の終わり

2018年12月26日 6:26

 

ハロー!私はラッキー!

 

年賀状終い。今日たった今初めて聞いた言葉ではあるが、全てを悟った。

年賀状の文化の終わりである。

 

私は日本人とは桜の民族であると常々思っている。

桜とは散る花。

散り際の潔さ。

日本人の心にはそういう、"終わり良ければすべて良し"や"判官贔屓"などでもあるような、

"散る際の美学"

に非常に敏感なところがあると思う。

 

私もそのひとりで、犬死はだめだが、無駄に生き永らえるのも無様だとよく思う事がある。

 

私は生まれてはいないが、王貞治選手は晩年全盛期の成績は残せなくとも他と比べれば明らかに秀でた成績を残している。

そんな中最後の年も30本の本塁打を打っていながら、自分のプレーが出来なくなったと言い残し引退をしたと聞く。

 

散り際を自らが決めるという点にはグッとくる。

 

年賀状。

この文化も終わりを告げるだろう。

しかし良い文化でもある。

アホな事言ってると思われるだろうが、年賀状についての案を1つ述べて終わりにしたい。

 

 

・年賀状はあの人に出すからあの人も

・去年出したから今年も出さねばならない

 

この2点のみ無くせば生き残れる文化だと感じる。

改善策としては

・一人がだから枚数を限定し

・去年出した人には原則出さない

 

これで良い意味で苦痛はなくなる。

 

あとはプライバシーというが、住所はわからないようにするか、今まで通りでも良いと思う。

全員に出さなければならないから、住所録が出回る。

一年に10人と設定すれば、自らが動いて聞きに言ってもよいだろう。

政府がその10枚を発行してもよい。

10枚なら、所要時間も1時間で済むだろう。

 

 

とまあ好き勝手書いたが、考えさせられる。

時代の変化は着々と進んでいる。

 

変化に遅れてはならない

変化対応でも遅い

変化扇動である。

 

また明日!

よろしく!

 

グッドバイ!!

 

 

『今年限りで失礼します』

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